2007-08-26

毎日更新

とある事情から、ブログを毎日更新することにしました(できるだけ)。

毎日更新すると、どうしても内容の質は落ちるし、ネット上に有益情報を記録したいという当初の目的と離れてしまいそうですが、やむを得ません。

昔、何度か日記をつけようとしたときは、三日坊主になるのが目標でした。だいたい1日、よくて2日でどうでも欲なり、どうしても3日続けることができませんでした(笑)。今回ははたして何日続くのでしょうか。


2007-08-20

コスタリカ旅行記 5 アレナル火山(Arenal)

お次はアレナル火山。ガイド曰く、世界で5本の指に入る活火山なんだそうな。はたして溶岩は見られるのか。


いったんサンホセに戻って一泊した後、アレナル火山行きのツアーにてアレナル火山に向かう。どうでもいいがこのパックは、現地ツアーの出発がいつもサンホセ。モンテベルデとアレナルなんて相当近いのに。そのため、バスに乗っている時間がやたら長い。

これは、いわゆる観光コース。ガイドもいるし、ぼったくり(?)のおみやげ屋にも寄る。

コーヒーがメッカのコスタリカ。コーヒー農園をバスから遠目に見て(コースっぽいですね)、近くのおみやげ屋に入る。コーヒーはNYと値段が変わらない。1パックが8ドル強。NYで10ドル程度だから、1ドルちょっとの運び賃と言うことになる。これでは今買う気にはならない。輸出用の豆の方が品質もいいらしいし。

葉巻も有名なのかいっぱいある。見てみるが、相場がわからない。個人的には買ってもいいかなという値段ではある。安いもので小さいの5(4?)本入り7ドル程度から。結局帰りの空港で5本入り40ドルを買ったのだが、これなら最初にここでそれなりに買えばよかった。そんなもんです。

さて、火山といえば温泉。この地にも立派な温泉施設がある。ほかの観光施設はいまいち整備されていないのだが、ここはいい感じ。むろん、外国のことであるので水着を着てはいる。水着は持ってきていないので短パンを1つ水に浸すことにし、そのままはいる。防水カメラとともに。あと、バッタもんの時計も。30M防水は、30cmってことか?と思いながら入りましたが、元気に動いていました。結構やるなぁ。



入った感じは、ジャングル風呂の巨大版。結構歩いたのだが、道が曲がりくねっていることもあり、結局全容はわからなかった。それくらいでかい。水はそんなにきれいに感じなかったので頭をつけて泳ぐ気にはならなかった。他にしている人もいないし。むろん洗い場もないです。

アレナル火山は結構な活火山で、一応毎日溶岩が見られることになっているらしい。形はもろに富士山。アレナル富士といったところか。昔修学旅行で昭和新山を見に行ったのを思い出す。私の時は、ツアーのアメリカ人が騒いだこともあり、風呂後に急遽、見やすいところに移動して溶岩を見るという企画が催された。夕闇に、ほかのツアーの人もいてごった返している河原で、上空を見上げていました。さながら、花火大会の開始前か。

と、見えました。溶岩、というか、メテオ(FF)みたいな感じ(わかりますかね?)。一応、写真乗せておきます。



これが

こう流れ(転がり?)落ちる



このツアーでは、途中食事が2度もあったこともあり、結構いろいろな人と話した。アメリカ人のほかにもスペイン人や韓国人そして日本人も。スペイン人曰く、スペイン語圏なのでスペイン人はやはり結構いるらしい。スペインでは今人気のスポットとのこと。ユーロが強いのと、コスタリカの国内情勢が他の国より安定していることがスペイン人観光客の増加につながっているというのが我々の間での結論となった。

中南米旅行で感じるのは、周りはインテリばかりだということ。この段階までで結構話した人はアメリカ人(スペイン語教師、トマト調査の大学生、ベンチャーキャピタルにつとめている人)、スペイン人(教授)、韓国人(コンピューター関係の博士課程)、日本人(英語教師)。あまりふつうの学生とかいう人はいない。日本では大学生、若手会社員とかOLなどが旅行することが多いように思いますが、まだまだ旅行っていうのは高価なものなのかなぁなどと思いました。バックパッカー宿とかに行っていないせいかもしれません。日本人に関してはやはり1週間強の時間も必要となりますしね。

こういう人たちと話していると、皆、結構外国に行っています。外国通。いろいろ経験がある。話題も豊富だし。見習うべき点は多々あるなと思います。

ところで、このツアーは元々1日なのが、僕のは1泊するようにアレンジしてありました。従って、前日の人たちと別れて、現地で一泊し、次の日のツアーに合流してサンホセに帰りました。翌日もこの風呂に入ったのですが、翌日は大雨。火山を見ることもなく、風呂にもろくに入らず。1日違うと悲惨なツアーになっていそうでした。天候に左右されるってのは怖いところです。

2007-08-18

コスタリカ旅行記 4 モンテベルデ(Monteverde)

この日は、モンテベルデというところに移動、その後現地一泊でサンホセに戻る。

翌朝、ピックアップのバンで自然たっぷりの地域(モンテベルデ)に向かう。道中4時間。英語すらほとんど通じない地域であるが、バンで横に座ったのはアメリカ人。しゃべったところ、大学生で、トマトの研究のために来ているとのこと。留学のおかげで、なんとかこれくらいの英語はわかるようになったようだ。その後は熟睡。後半は未舗装道路でかなり揺れたにもかかわらず、レム睡眠くらいまでしか起きない。起きてしばらくすると目的地到着。

ホテルにチェックインすると5分で、ツアーのピックアップの時間。うーむ、日本のツアー恐るべし。過密だぁ。

ツアーは英語ガイド付きで、熱帯雨林(なんかちょっと違うらしいが、素人にはわからず)の散策。Sky walkというらしい。同じ箇所でsky trekというのがあったが、もし選べていたらこちらを選んだ。こちらは滑車のようなもので移動するアスレチック風アトラクション兼林散策。ちなみに、今空港のcitiの公告がsky walkのもの。なんかミーハー的なうれしさ。


英語ガイドの英語がわかりやすかったのと、同行したアメリカ人のおばちゃん達が楽しかったので、ずいぶんと楽しい散策となった。

見つけたものの目玉はタランチュラか。さわりはしなかったが、至近距離でみられたのは幸運。穴の中にいるというのは初めて知った。人を殺すほどの毒があるというのは俗説で、虫とかを食べるときに内臓を説かしてジュースにして飲むためのものでその程度しか効かないそうな。あやしい聞き取り能力のたまものなので正確性は不明であるが。



その後は、おばちゃんたちに誘われるまま町中で食事。相変わらずほとんどアジア人はおらず、日本人も全く見かけない。その中で、英語の怪しい私を食事に誘ってくださった彼女たちには感謝感謝でした。

ホテルはまたも家族風呂+クイーン2つ。どうやら豪華な旅らしい。

翌日モンテベルデの別の場所でまたも散策。ガイドの英語は意味不明であるが、他の参加者と何となくわかったふりの会話をしつつ散策を楽しむ。この日もタランチュラ。どうも相性がいいらしい。ここにはハチドリ公園みたいなのもあって、蜜でえづけされている。ブーンって言っていて、巨大な虫みたいな音で、そこここにハチドリがいる。悔しいので、苦労してとった自然のハチドリ(巣入り)を。丸いのはガイドの双眼鏡を先につけて写しているからです。


ジャングルでは、一つの木にたくさんの植物(こけとか草とか)がひっついている。いわゆる寄生植物。でも、実際は、宿り木から栄養をもらっているわけではないそうな。自分で水を集め、大地に根を張る。それが理由で、大地に向かって長い根が伸びるらしい。ターザンの使っている蔓をイメージしてもらえば、わかりやすいでしょうか。

水を蓄えるのがうまい植物もいて、蛙とかは、そこに卵を産むそうな。確かに、外的はいなさそうな。まさに井の中の蛙のごとく、確実に育つんでしょうな。

また、花に見えて花ではない(葉っぱ)植物もありました。なんか理由言っていたけど忘れたなぁ。遠目には完全に花でした。というか、近づいてもそう言う花といわれればそうかと思う感じ。


コスタリカといえば野鳥の宝庫で、一番美しい鳥と言われるケツァールが有名。ただ、この時期はモンテベルデ周辺にはいないらしい。残念。これを見るためには乾期だそうだが、そうなるとウミガメの産卵が・・・・痛し痒し。ただ、私の場合は、何にも考えずにとったので無関係だが。

なにげに役に立ったのは、カメラの防水ケース。本来はスキューバ用なのであるが、こういった雨が降る日もいいように思われる。落としても壊れない感じになるし。こういったものは、極端に流通台数が少ないため、カメラの発売当初はあるが、その後なかなか入手しにくい。大手家電量販店でも在庫がないことが多い。最初に購入するのが吉か。2万円程度するので、躊躇するが、後から手に入らないので、買っておく方がいいように思います。

2007-08-17

コスタリカ旅行記 3 San Jose (コスタリカの首都)

コスタリカ(サンホセ)到着後、市内見物。


さて、空港で荷物も回収してホテルへ向かいます。いつもでしたら、お金を両替して白タクとの交渉と行くところですが、今回はツアー。いました、私の名前を書いて掲げている人。なんかうれしい。お金を両替せずともホテルに着けるのは不思議な感じです。

ホテルに着くと今回のツアー全体の説明。こんな説明自体初めての経験でしたが、結構いいかも。そこで気がついたのが、雨期の中米に雨具を何も持たずにやってきたこと。傘とポンチョを買えと言われる。虫除けを忘れていることも判明。

部屋に行くと、長ズボンをGパン1つしか持ってきていないことも判明。もしかしたら高級店に行くかとジャケットを持ってきたのに、こりゃ、ジャケットは無駄だったなぁ。電気カミソリを持ってきたが、コードを忘れ、ちまちま使わないといけないこともわかる。忘れ物だらけだ。

とりあえず、気を取り直して町に繰り出す。

ふっかけてくるタクシーと適宜やり合う。いつもは向こうの出してきた値段の1/3くらいから交渉するのであるが、今回は、結構大人な気分。ガイドに適正値段を聞いていたのもあるが、あまりやり合う気分でもなく、適正値段の上限くらい(2/3くらい)を提示して、それを飲ませて終わり。

熱帯特有のスコールが来た。しかも大雨。通りがかりの兄ちゃんに傘を売りつけられる。傘は買わなければと思っていたので折りたたみを購入。これも言い値の2/3くらいを提示してのませる。なんて穏やかな観光客なんだろう。パックツアーの余裕か。買った傘は、日本なら100円ショップで売っていそうなもの。4ドルくらいで買ったから、割高といえば割高だが、アメリカ大陸では南北とも100円ショップのお買い得感で買い物できたことはほとんどない。こんなものかと思いつつも、近くのスーパーで確認。スーパーの折りたたみの半額くらいなので、どんなにものが悪くても使い捨てとしてはこれで良しとする。

ここで国立劇場、銀行博物館などを閲覧。最近NYでの観光を結構していることもあり、正直迫力不足。人があまりいないのもうなずける。まぁ、この国は自然が売りだからよしとする。興味深いなと思ったのは、当初の通貨が、プランテーションごとにトークンとして勝手に出されていたこと。農園主は本当に小国領主(豪族?)だったんだろうなぁとおもわせられました。







次は時計。市場の場所を聞いていたので、そこで一番安い時計を買うことにして市場に向かう。予算は10-20ドル程度か。ちなみにこの国では米ドルがふつうに流通している。ホテルの交換レートは520コロン(この国の通貨単位、コロンブスから来ているとのこと)が1ドル。空港だと450コロンで1ドル。町中では500-520コロンで1ドル。表示がコロンでもだいたい500コロン1ドル換算でなんでもドルで払える。おつりはコロン。中南米ではよくあるパターン。

市場で腕時計のばったものを買う。まぁ、アメリカに帰るまでに使うし、いざとなったら捨てるしいいかと思い、購入。5000コロン(10ドル弱)なり。防水って書いてあります。本当かな。

引き続き国立博物館に向かうもすでに閉館。なんだか治安が悪そう。そばの郷土料理に行く。メニューを見る限り、NYの中米料理とかキューバ料理とかいうみせと大差ない。T-boneステーキと、地ビールを飲む。一人でも、治安が悪くとも飲んでしまう年齢になりました。






ホテルは快適そのもの。クイーン2つの部屋。風呂もなぜか家族風呂。何人も同時に入れそう。テレビもでかく、言うことなし。






コスタリカ旅行記 2 出発→到着

相変わらず移動はハプニングと、驚きの連続です。

前回のバージニア行きでの痛い経験があるので、今回は早め早めに行動です。2時間前(朝4時)には最悪ついていたいので、目覚ましをセット。むろん「朝4時」。前日飲まないという誓いを軽く破ってほろ酔いで就寝。。。。あれっ??

一人で行動するって怖いですね、何とか直前におかしいときがついて2時にセットし直しましたが、危うく旅行に行けないところでした。いつも当日朝起きてから出発準備を始めるのですが、さすがに4時起きではつらいです。

というわけで気を取り直して朝2時に、目覚ましと、友人の電話(ありがとう)で起きる(夜です、まっくらです)。

起きて30分で準備、若干ネットで遊んで3時に出発。(これが大量の忘れ物を招こうとは・・・それなりに予期してました)


朝のラガーディア。閉まっています。。。



道がすいていていつもよりタクシー代が安くすんだ(いつもチップ込み30ドルくらいが20ドル弱)のはうれしいのですが、飛行場で開いていない窓口(そこがだたしいか否かの確証は周りの人間も含めてだれもなし)に並ぶはめに。列がどんどこ増えていっているので、前もって並ぶのは正解ですね。

飛行場で気がついた最初の忘れ物が時計。普段つけないからですが、ジャングルもあるのでむかーしかったG-shockをいつもは持って行くところ、今回はすっかり忘れてしまった。携帯があるからと思い、気を取り直す。(今回はこれでは足りなかった)

最初の飛行機は中継地Miamiまでの飛行。Miamiでかいですね。大都市だ。選挙の票が最後でもめることから結構少数票かと思いきやそんなことはなさそう。ずいぶん大きい。

そういえば昔来たときも繁華街で、危険な香り(笑)を感じたものです。今となってはなんてことないのですが、そのとき一番怖かったのは道を聞かれたこと。どんなかというと・・・

カーナビなしのレンタカーで道に迷って行き止まりまでふらふら運転していったところ、そこになぜかずっとついてくる後続車が。むろんこわれかけの車(なんでついてくるのーとこの時点で困惑気味)。行き止まりでUターンしようとすると、向こうが車を停止して、怪しい中南米風のちょびひげ親父が近づいてくる。こっちは、右も左もわからない学生です。ヤク中の人で、いきなり鉄砲で打たれるんじゃないかと変な妄想のみたくましい。親父は近づいて来て窓をノック。しょうがないので、5センチ位のみあける。こんなところに司法試験予備校の教えが。。。そこでべらべら話されたのがスペイン語。どうやら道を聞いているらしいとわかったときは本当にほっとしたものだ。どうやら2台で迷った模様。答えは「わからない」なので彼にとってもとんだ骨折り。いまとなってはいい思い出です。

そんなマイアミに5分遅れで到着。到着間際に次の乗り換え時間をチェックするときっかり到着1時間後に次の飛行機が離陸。この段階でびっくり。まにあうのか?

ついて、携帯をONにしようとするも、なぜかONにならない。あせる(今思うに、緑のボタンをonと思い、押していたんじゃないかと)。飛行機を確認すると別のターミナルから「定刻通り」に離陸するとのこと。こんな時だけ定刻かとののしりながら、ダッシュで別のターミナルへ。ターミナル間がまた、モノレールで移動しないといけない遠さ。「手元のチケット空欄だらけだがこのままでいいのか?、出国手続きって何かあるんだっけ?」とか思いながら、そばにいる人に時間を聞くと、なぜか離陸20分前とのご回答。えーーーー!。モノレールを待っている間も気が気ではありません。おりたら、そこからは猛ダッシュ。でもついてみると離陸30分前。なぜか聞き間違ったのか間違った時間を教えられたのか。。。

落ち着けば、携帯の電源もつきます(赤のボタン)。壊れたかと思ったので、一安心と、時計を買わないことに決定。

機内に乗り込み、気がつくと陽気な音楽がなっている。飛行機は中米行きだから中米のご機嫌な音楽がBGMでかかっているのかと思ってふつうに寝て起きたところ、何かおかしい。



そもそも飛行機にBGMってあったっけ?
飛行機の騒音も相当大きいのにそれを打ち消すほどの音量。

やっと後ろの客がならしているのだとわかりました。後ろの席の人が、ラジカセでずっと音楽をならしている。ヘッドフォンではないんですよ。スピーカー。ありえねぇ。

その人は僕の周りの人10名程度と集団らしく、カウボーイハットをかぶった酔っぱらい。まぁ、特に害にならないからいいかと思って中米っぽいのりを楽しむ。しばらくすると飽き足らなくなったのか、おやじ二人で、アカペラで歌い出す。酒も注文しまくり。。。

私の周りの客も苦笑を始める。

結局そこから着陸までずっとアカペラを聴いていました。不思議と腹は立たず、ラテンののりを楽しめた不思議なフライトでした。



フライトからおりて、もう一つ、びっくりしたのが、携帯の時計は圏外では機能しないこと。夏時間とかをうまく調節しているので電波で調節しているのは知っていましたが、圏外では全く表示できないとは。時刻設定の画面では1980年となっていました。なんじゃこりゃ。結局時計を買う必要があるなぁと思った瞬間です。

さてさて、どんな旅になる事やら。


2007-08-16

コスタリカ旅行記 1.コスタリカ行き決定!

せっかく研修先の事務所からemployment letterをもらったのだからと、海外旅行を無理矢理計画し、17日から24日までコスタリカに行ってきました。

例によって思いつき。出発の1週間前に何の計画性もなく、「海外」「世界遺産」をテーマに旅行をすることを決定。今回は、直前までNYで遊んでいる予定だったので、旅行会社にお願いすることにする。

JTBNYにはメールで、HISには電話でお願いしてみる。JTBはなしのつぶて。まぁ、メールではこんなものかもしれない。

HIS(US)
http://his-usa.com/ja/top/Top.aspx

いつも航空券の手配を頼むHISには電話したこともあり、話が進む。今回は、航空券の手配ではなかったのですが、窓口の担当者も大変ですね。1週間後に出たい、中南米かギリシャ・トルコ・エジプトあたりで、10日までとかいう条件で探させられるのですから。頭の下がる思いです。

とりあえずわかったのは、1名だと割高だということ。なぜか、1名特別料金みないなものがついているものが多く、ひどいものではほぼ2名分支払わせられる。詐欺みたい。また、航空券も適宜空きを聞くので数時間で2倍程度に根あがることもまま。相場師の気分になってきます。一方、日本のスキーとかとは違って、料金体系は比較的シンプル。人数・日数・意味不明の追加料金をわからなくしたいとしか思えない式で加算する方式は海外では採用されていないようです。

そんなこんなで、比較的リーズナブルで、自然いっぱいと言うことで決まったのが今回のコスタリカ。ちなみに直前までプエルトリコと思っていましたが、そこら辺はパックツアーのご愛敬ですね(なにが?)。

今回の日程は、「飛行機の朝夜移動はむしろ効率的です、安いし」と学生のような希望を出したため朝6時ラガーディア発。日程を受け取っても特に確認はしなかったため、むろん知ったのは前日。。。


2007-08-14

自由の女神、エンパイヤステートビル

先日自由の女神とエンパイヤステートビルに行ってきた。

つくづく観光らしいものをしなかった1年を取り戻すべく、メジャーどころを巡る観光を続けており、その一環。

自由の女神・エリス島

なぜか、地元なのに土日に羽目に。事前にネットでチケットを予約しようとするも、sold out。地球の歩き方をみると朝相当早く行かなければならない模様。そんなこんでもないだろうと、ぼちぼち出かけたところ、女神のいる島までのフェリー待ちが長蛇の列。

友人と行ったのであるが、友人が列の途中でトイレを発見して用をたして、その後走って追いてくるときに、私がまだ列の最後尾にたどり着かない位の長さ(どんなだ?)。私の歩きの遅さを考慮しても相当な長さです。列のすすみ具合自体は順調で、そんなに時間はとられないのですが。

しばらく並んでいて気がついたのですが、これは、券を持っている人の列。やむなく友人と別れ搭乗券・オーディオガイド券を購入。しかし、台座までに登る券はすでに売り切れ。昔来たときは女神の王冠みたいなのまで登れたのに、隔世の感です。いずれにせよ、何事も行き当たりばったりは、限界があるようです。

いつも思うのですが、本当に女神なんですかね?そうとう男っぽい顔立ちです。いい顔って言うのは、男も女も中性的になるのかなぁなどと話していました。あと、なぜぼってり体型?奴隷状態からの解放の趣旨があるようでサンダルを履き、切れた鎖があるようですが、そんなにいいもんくっていたんでしょうか?

オーディオガイドは、女神のところと、移民受け入れのエリス島でそれぞれレンタルし、返却します。

女神像のオーディオガイドは短く簡潔。

エリス島のオーディオガイドは、講座みたい。あまり話すことがないのに、無理矢理長くしている感じ。最初に総論的にざっと説明し、後に細部を事細かに説明。結論的にはほとんどの人が数時間で移民としてうけいれられているにもかかわらず、オーディオガイドを聞いていると、この世の終わりかと言うくらいの悲劇の連続。体験者の涙なしには語れない話も盛りだくさんです。

確かに拒絶される人や、病気の疑いで島に抑留される人があまり幸せではないのはその通りだと思いますが、移民に関して厳しい日本から来て、ビザごときでめんどくさい手続きをさせられた身からすれば、ごくごく簡単で、当然の手続きをしている感じです。伝染病のチェックは当然ですし、自活能力を求めるのも当時のアメリカの未開具合を考えると当然。

むしろ、事前の書類なく口頭諮問、身体検査で移民手続きが終わるのがびっくりです。本当に移民の国なんだなぁと実感しました。

このオーディオガイド聞くとおもしろいし、日本語版もあります(英語だと肝心の所がわからない場合があり、やはり日本語の方がいいのかもしれません)。

しかし、まともにやると、自由の女神(台座めぐりなし)とエリス島とで4-5時間くらいかかります。これだけやると記憶に刻み込まれる感じで一生忘れないでしょう(笑)が、時間に余裕のない人にはあまりおすすめできません。また、フェリー乗り場を見る限り、NJからもフェリーが出ているようです。そちらの方がすいているのかもしれませんね。

2007年10月1日までのフェリー事前予約
http://www.statuereservations.com/online/ContractEnding2.htm

エンパイヤステートビル

これも行ってきました。自由の女神の後。土曜の夜だったので、南の方で2カ所花火まであがってました。

とかくといい雰囲気ですが、混みすぎ。おちついて見物もできません。

ましてや○○ゃつくなど・・・。空中庭園(大阪梅田)のソファ(いまでもあるんでしょうか。ちなみに私は使用してません。)みたいな雰囲気のところはありませんので期待しない方がいいです(笑)。

あと、80階あたりと、その上で別料金を取るのはやはり反則。いくら何でも。特に今は改装中で途中内装の全くないところも通ります。もうちょっとお勉強していただいても・・・という感じ。

今回は、疲れ果てていたので最上階まで行きませんでしたが、80階だと周りのビルが結構邪魔。たしか上まで行ったらもうすこし見晴らしがよかったはずです。

昔と違い、WTCがなくなったので殿様商売なのかもしれません。前に来たときは、ビルができるまでみたいなコーナーや、キングコングの展示などがあったはずですが、それは何処に行ったんでしょう?それはそれでよかったんですが。100階まで行く中にあったんでしょうかね。ともかく、行くなら覚悟を決めて、最上階まで行くべきだと思いました。

2007-08-07

バージニア小旅行

先週末にVirginiaへ1泊2日の小旅行に行ってきました



研修所時代のクラスメイトがヴァージニア大学のLLMに行っていたのですが、今度ロンドンで2年目の研修をするためもうすぐアメリカを発つと言っていたので、ではその前にということで、急遽バージニアを訪れることにしました。そんなわけでお互い暇なのになぜか土日一泊旅行。

1 行きの飛行機

1泊2日と言うことで、飛行機は行きは朝NY発、帰りは夜NY着とする便を選ぶ。でも予算の制約もあり、University of Virginia (UVA)があるCharlottesville (シャーロッツビル)ではなく、近郊のRichmond 行きを選ぶ。そこまで車で迎えに来てもらう皮算用。

ラガーディア8時40分発の飛行機ということで、余裕を持って7時20分頃到着。なぜか大混雑。セルフチェックインというのをやって見るも、なぜかカードをうまく読み込まない。仕方がないので長蛇の列のfull serviceにならぶ。

この列は、相当長く、あまり進んでいない。アメリカ人はレジとか受付で必ず挨拶+αのchatをするのに加え、作業がアジア人(日本・香港・シンガポールは早かったです)に比べて遅い場合があるので、通常長蛇の列は相当痛い目に遭う。この日もそうだった。

覚悟を決めて長蛇の列に並んだのはいいが一向に進まないので、小説を取り出す。英語の勉強をかねて、英語の小説を読み出したのだがこれが進まない。しかも荷物を引きずりながら、小説と電子辞書の両方を立って使っているので指がつりそう。まぁ、それはさておき、小説を読む。楽しんで読んでいる間に、自分の番が来る。ふと時計を見ると、出発5分前!!

あわててカウンターでわめくも、もう出発不能とのお答え。5分遅い(10分前までいけるそうな)。そんなぁーーー。

まぁ、でもこういう目に遭う人は、人生において何度かこういったことを経験している。私は日本でも、ペルー(!)でもこういった経験はある。たいがい代替機の話となり、無料でチケットを得られるかは交渉次第となる。

とりあえず、今回も代替機の交渉になるかと思い、ここからは、若干切れ気味姿勢。本当は「がーん、またやっちまったぁ」って感じなんですが、それを出すわけにも行きませんもんね。

並んでいる間、出発間近の便の人を呼びにくる人もおり、出発間近の人は優先的に処理されいました(ここら辺は日本と同じ)。ところが、私が気がつかなかったのか、私の番が間近になったときには、その呼び出しのお兄ちゃんがいなくなっていた。

とりあえず、いない人は反論しないので、この人が呼び出さなかった、ずっと1時間30分(サバで許される範囲でしょう)も待っていたのに、何を考えているのだと詰問してみる。

すると出てきました。代替機の話。JFKから昼の1時30分に出る便が一番近いとのこと。いやいや、1泊2日の旅行なんですがって話です。しかも、どうせJFKまでの移動賃くれないんでしょう?って内心思う。

ここで、他の航空会社の便を手配しろということも考えたのですが、よっぽどでないと有料の結論となる議論になってしまう可能性が高いと判断し、近郊の別空港行きがあるかを尋ねました。

すると、Washington DC行きの便なら午前中ラガーディア発のものがあるとのこと。これだと、Richmondへの予定到着時間の1時間後にDCにつく。とりあえず、CharlottesvilleからDCまで片道2時間のお出迎えが可能か友人に電話するも、つながらない。

地球の歩き方を見ると、RichmondからDCまでは1時間弱のドライブ。もし友人が家を出ていて、空港に着くまで携帯を見なかったとしても、何とか予定時間につく。

運転距離は長いが、もともと土日べったり僕のためにあけているはず(笑)なので、その間は、僕が指示するところにきてくれるでしょうと勝手に判断。DC行きの便を手配してもらう。

むろん、無駄の多い飛行場の作業、再度、別ターミナルでチェックインが必要です。とりあえず、迷子にならないように別ターミナルへの生き方(無料シャトルバス、降りる駅)を聞いて、バーイ。いつもこのdirectionというのは、わかるようなわからないような。とりあえず、シャトルバスに乗って人に聞くかと向かってみる。

バス停はすぐにわかった。シャトルバスは、巡回の方向が異なる2便あるので間違えないようにして乗る。なかで親切そうな人がいたので、どこで降りるといいか聞いてみる。Chat好きのアメリカ人のいいところは、こういったときにみんなしてどうしたどうしたと手を貸してくれるところ。NYはこういった雰囲気がほかの地域に比べて少ないですが、それでも日本の何倍も暖かい。レジ待ちとどっちがいいかと聞かれると・・・・わかりません。毎日のレジ待ちはむかつくが、本当に困ったときに親切にされるのもありがたい。いいところばかりはとれないと言うことでしょう。

そんなこんなで、無事到着。今度はシャトル便だったので、えらくシャビーな別建物。むろん1階建て。人の列もほとんどなく、すぐにチェックイン。一つ前の便の離陸5分前だったので一応前の便への変更が可能か交渉するも、それは無理ってもんです。しかたがないので、ターミナルでのんびり待ち続けます。

その間に友人に連絡したところ、今起きたとのこと。別方向への出発は杞憂だったようです。

で、飛行機は、結局30分遅れで11時出発。起きて6時間近くNYから出られなかったことになります。NYもでかいですね。

2 DCでのお食事 (Jaleo)

DCについて、30分くらい待つと友人登場。二人してまずは腹ごしらえとばかりに、食事に繰り出す。連れて行かれたのは、DCのダウンタウン、Jaleo(ハレオ)というスペイン料理店。中華街のチャイナタウンゲートが見える7th Stを南下した、FBIのほど近くにあります。地球の歩き方(05-06)p286にもありました。昼時間だったので、人もたくさんおり、活気がありました。料理もおいしく、サングリアもいただきました。

リンクは下記
http://www.jaleo.com/bethesda.htm


3 DCの航空宇宙博物館(新館)

さて、食事後に向かったのは、The Steven F. Udvar-Hazy Center (航空宇宙博物館の新館)。ダレス国際空港に併設してあります。飛行機とスペースシャトルが大量に展示されており、車があるとかダレス空港を使用すると言うことであれば、行く価値ありです。ただ、時間がなければDCダウンタウンにある本館だけでもいいかも。

今回、衝撃的だったのはなんと言っても特攻機。滑空機だったとは。明らかに自分では飛び立てない。氷の上を滑っているときのペンギンをご想像ください(写真乗せろよって感じですね。あるんですが、のせません(笑))。説明書きによれば、別の飛行機で運んでもらって、戦艦のそばで発射されるらしいです。形も、まさに同館に展示の大陸弾道ミサイル・中近距離ミサイルのCPUの代わりに、人を乗せた感じ。違うのは、ライフルの上についている丸い同心円状の蜘蛛の巣みたいなの(名前がわかりません・・・)がついていて、それで目視して特攻したみたいです。ほんと、弾です。

以前どこかで回天(潜水艦の特攻機)をみて逃げ様のなさに驚いたが、特攻機も一緒だったんですね。なぜか、零戦の廉価版木造機で突入していたのかと思っていました。ドラマ、映画の印象かもしれません。しかし、この形は、結構きっついですなぁ。

あとは、スペースシャトル。以前に何度かフロリダで見たことがあったのですが、ほかの飛行機と一緒に見るとその大きさに改めてびっくりでした。単体でさらに大きなロケットのそばで見るとそんなに大きな感じじゃないんですよね。フロリダに行くまでもジャンボジェットに乗ってますし。ただ、戦闘機との比較で言うと明らかにでかい。別次元。すごいもんです。表面のタイルも異様。

宇宙開発初期のいろいろな器具や、アマチュア人工衛星もありましたが、うーん、おもちゃ(笑)。100円ショップで売っている部品みたいなので作っているのがあるかと思いきや、小学生の夏の工作みたいな意味不明の形の人工衛星がいっぱいあったり。。。B29とかすでにばりばり動くものを作っていた技術者は、隣でまだ動かないおもちゃの原型を作っている宇宙班(むろん、実際に隣かは知りません)をどんな目で見ていたんでしょうねぇ。夢があると見ていたんでしょうか。

4 シェナンドー国立公園(Shenandoah National Park)

食事後向かったのは、シェナンドー国立公園。車っていいですね。山が青く見えるというのが売りだそうな。六甲山も青く見えましたので、何処が違うのかは不明。日本の本州の山と違って落葉原生林。

動物にも出会うというので、何に出会うかなと思っていたところ、出ました。鹿とあれ。あるーひってやつ。一気ではなく熊。

案内してくれた彼曰く、鹿は毎回見るそうですが、熊は十何回きていて2度目だそうな。

熊に会ったら死んだふりをしろと言われて育った我々、何をしたかというと、

車を止めてカメラ抱えて猛ダッシュ。

命なんざ顧みている暇はありません。熊はというと、気づかないふり。熊の世界にも人にあったときの対処法が秘伝として伝わっているのかもしれません。

というわけで、このブログ初写真は、ぶれた熊!!わかるかなぁ。

 


リンクは以下。

http://www.nps.gov/shen/


5 ご自宅訪問

その後、シャーロッツビルに到着。先にチェックインをということで、指定されて予約していたholiday innへ。

はい、無論、ハプニングなしでは泊まれません。友人宅のholiday innに行ったところ、予約が入っていません。あらら。

何事かと思い、聞いてみると、holiday inn違いとのこと。この町、小さいのに2つholiday innあります。仕方なく車で再度移動。だんだん暗くなってくる中でも、じもてぃと一緒だと安心安心。

というわけで、この町でホリデイインを予約する場合はご注意を。宿自体は快適で、ネットもただでした。入りませんでしたが、プールもついていましたし。お値段はダブルで税込み100ドルちょい。まぁ、格的にこんなもんでしょう。

そのご、友人宅にて飲み会。奥さんの手料理をいただきました。和食で品数も豊富でした。奥さんには、勝手に食事とか作らないイメージを持っていたのですが、すいませんって感じのおいしい料理と、おいしいケーキが出てきました。久々に彼と奥さんと夜遅くまでだべってました。

6 モンティチェロ(Monticello)

翌日まず向かったのは、シャーロッツビルにきてここを見学せずに何処を?ってかんじのモンティチェロ。来るまで知らなかったんですがね。

わかりやすく言うと5セント硬貨の裏側(?)の頭のまーるい建物。(ここも写真のせろってかんじですね~)

ヴァージニアで一番有名な人物は、独立宣言起草者であり、ヴァージニア憲法起草者であり、ヴァージニア大学設立者である、第3代大統領 トーマス・ジェファーソン (Thomas Jefferson)。独立宣言を書いた大統領として人気があるそうな。ちなみに、第3代より前の3つの枕詞は、彼自身の遺言により墓に刻まれた功績です(大統領はない)。ってこう書くと、偉そうですが、本当に偉いんです(笑)。えらすぎて書くことが多くなりがちなのを残された人が頭を悩ませないように削ったってかんじです。

彼は外交官、建築家、弁護士、科学者、発明家などいろいろな顔を持ち、語学も7カ国語できたそうです。ちなみに、7カ国語はどの程度かわかりません。わかっているのは、ガイドの説明にはold Englishってのも入っていたことと、スペイン語の学習にはドンキホーテを読んだこと。えー、俺らはもっと英語の本読んでいるけど英語怪しいぞっておもいました。

ただ、実際に不自由がなかったのかもしれません。というのは、彼は建築は16世紀からの建築書を読むことで、独学で身につけたそうですが、当時の建築書にどの程度絵が会ったのか知りませんが、ガイドにもメニューにも絵や写真を使わない欧米、あまりなかったんじゃないでしょうか。それだけで、実際に建物を造ってしまうのはすごいとしか言いようがありません。1を聞いて10を知るとはこのことでしょうか。大学で座学を学んだだけでは、契約書を書けないし、ディールができないと考えてしまう我々・100を聞いて10を知る一般人とは大違いだなぁと2人で感心しきり。だって実際建築していくと詰めなきゃいけない箇所は山ほどあると思うんですよね。いくら本を集めても。でも、できる人はできるんでしょうな。ちなみに独立宣言を書いたのは33歳のときだそうな。いまでもアメリカ人の誇りであり精神を表していると言われることが多いことから考えると、概念だけ理解して、それを実際の形に落とす能力が相当優れていたとしか思えません。

そのジェファーソンが40年ほどかけて(城か教会か!)、自宅として建てたのがこのモンティチェロ。相当広いです。それなのに、省スペースをはかっていた模様。ベッドは、空間の効率的利用のために壁に穴を開けそこに設置しており(みたところドラえもんの寝床。でもふつう壁はそんなに厚くなく、押し入れは収納として設計するってことを教えてあげたいです)、キッチンは地下で見えないようにしています。氷を貯蔵する部屋もあったそうな。行くと地下に大きな穴を開けてありました。確かにいっぱい集めれば1年持つのかもしれませんね。

発明家でもあったジェファーソン、発明品も家中に盛りだくさん。一例を挙げると、コピー機。手紙を9000通ほど書いたそうですが、弁護士らしくコレポンを手元に残したそうです。そのために使われたのがコピー機。スキャン機能とかではもちろんなく、要は、2つの鉛筆を箸でつないだ感じコの字にして、2枚一緒に書く。果たしてうまくいくのか?ってかんじですが、結果からするとうまくいっていたようです。

すごいなと思うのは、新しいことにリスクをとりながらチャレンジするのをよしとしながら、一つ一つ形として仕上げるところ。新進性と、実行力の両方があるってのは本当にすごいことです。

ちなみに、常に時計で時間を管理しながら生きていたそうな。タイムチャージだったんでしょうか。いずれにせよ、腕時計でもするかなと我が身を省みました。一日でやっていることがあまりに少ないので。

そんなこんなで機能もりだくさんのMonticelloは、アメリカでは数少ない文化世界遺産だそうな。もう参ったって感じです。

リンクは以下。

http://www.monticello.org/


7 University of Virginia

続いていったのが、ヴァージニア大学。州立大学です。この町は、基本的にビルがなく、大学以外の建物は大学の建物の間に立っているといっても過言ではないくらい、大学町です。というわけで、どの校舎ってのまで言う必要があります。

最初に向かったのが、これまたジェファーソン設計、世界遺産のRotunda (ロタンダ)。大学のシンボルです。いわば本館。空間の使い方が贅沢で、広々しています。大学には巨大な木々があるのですが、大学建設当初の絵にはこれがない。その当時とは結構印象が違います。

次は、ロースクールの建物。新しくとてもきれい。しかも広い。夏だからか学生もおらずがらんとしています。

LLMは人数も30名程度(日本人は5人程度)でこぢんまりとしているとのこと。まわりのJDが勉強するので、勉強もするらしい。もし、アメリカらしい生活を満喫したいと言うことであれば、本当におすすめの場所ではないでしょうか。少なくとも強制的に英語という環境はありそうです。地元の方の英語も南部訛りもなく、スピードもゆっくりできわめて聞き取りやすいですし。ミシガンやコーネルより暖かいですし、授業料も安いそうな。難点といえば実務っぽい科目が少ないこと、卒論を書かなければいけないこと、日本人から情報を得られないことなどでしょうが、いずれも本質的ではないと思います。

リンクは以下。

http://www.law.virginia.edu/html/index.htm


8 ワイナリー(Kluge Estate Winery & Vineyard)

友人の奥さん・お子さんを拾って、最後に向かったのが、友人おすすめのワイナリー。前日もここのワインを飲んでいて大変楽しみにしていた、生まれて初めてのワイナリー訪問です。リンクは下記。

Kluge Estate Winery & Vineyard
http://www.klugeestateonline.com/

食事・ワインとデザートをおいしくいただきました。期待通りの料理で、大変満喫。特にキッシュは衣がさくさくでとてもおいしかったです。ワインもおみやげに購入。ゆっくり食事とお茶2時間程度満喫。

これが、それぞれ後で響くとは、このときは知るよしもなし。

9 空港

さて、今度こそ、Richmond発の飛行機で帰りたいもの。友人の言葉によると、1時間程度でつくとのことですので、ワイナリーを2時間前に出発し、空港に向かう。私は酔ってしまい、助手席で爆睡(すいません)。

起きると、友人と友人の奥さんがなにやら話している。どんどんとばしている模様。どうしたのかと眠い目をこすりつつ看板と時計を見ると、空港まで8マイル、出発まで40分。あらあら。

友人曰く1時間と思ったが、実際にきたことないとのこと。えっ。。あの時間見積もりの自信満々ぶりは・・・。まぁぼくの友人です。そんなもんでしょう。

まぁ、とりあえず急いでもらい空港へ。出発の25分前に空港に着く。あわててチェックインし(といっても前日の経験から10分前まで大丈夫でしょう?とは思ってました)、ゆうゆうと、セキュリティに向かう。飛行機に乗れないときのために待機していた友人に解除の電話をしようと思ったが一応思いとどまる。

ハプニングは、セキュリティで発生。荷物が少ないので何も預けていなかったのですが、今回はワイン入り。。。。だめですね。

あまり普段お酒をおみやげに買わないので忘れてました。液体だめなの。係員に、どうしたらいい?と聞くと、もう飛行機出発15分前を過ぎているから、飛行機で送るのは無理。飛行場まで見送りにきた人がいればその人に別送してもらうべきとのお答え。

それじゃ、らちがあかん。駐車場まで移動してしまっている友人を待っていたら、飛行機に乗れないかもしれない。友人も引っ越し・出国準備があるのだから、お願いするわけにも行かない。

というわけで、あわててカウンターまで走って戻って(酔いも覚めるってもんです)、列を割り込み、荷物を預ける。さすが南部の人、引き受けてくれました。乗りそう?ときくと、We will do our bestとのお答え。内容物に急に必要なものもなかったので、「南部のbestをみたろーじゃん」と再びセキュリティへ。

人が少ないからか、南部だからかやけに人なつこい。セキュリティの係員も、どうだったと聞いてきます。"They'll do their best"と答えておきました。ついでに飛行機に乗らなかったらどうなるのか聞いたところ、別の飛行機で運ぶとのこと。当日そのままついた飛行場で待つか、後日飛行場に取りに行くか、自宅に送ってもらう処理になるそう。いずれにせよついた空港で航空会社の係員と話せとのこと。ありがたい情報です。

その後は、順調に出発。出発時間が20分くらい遅れてましたが、「荷物乗るかなぁ」くらいなもんです。なんてことはない。

さて、ラガーディアで荷物の受け取りです。どきどきしながら待っていると、きました!
いいこともあるみたい。南部のbest っていっかんじだ。

というわけで、てんやわんや、いつものようにハプニング、ぎりぎり劇の繰り返しでしたが、無事NYまで帰ってきました。


2007-08-03

大雨

映画の帰りは大雨でした。

実は大雨の中(数ブロックですが)移動するのは本当に久しぶり。たいがい地下鉄からの1ブロック弱を走るだけだったので、新鮮でした。

映画が終わって出てくると、外は雷。映画の延長のような激しいの。小雨だったので歩いて帰ろうとすると豪雨に。豪雨ってなかなかつづかないんでしょう?っておもって10分程度待っていたのですが、なかなか小雨にならない。しかも、困ったことに道に川ができ出しました。忘れていましたが、よく考えたらNYの排水は最悪でしたね。

これ以上待っていて川になっては困ると、事務所からのemployment letterの入った鞄をもって傘を差しつつ強行軍。明日旅行の際にはいていこうと思っていたパンツ(ズボンですね)、靴もびしょびしょになってしまいました。どうしたもんか。特に靴はスニーカー2足で1年過ごしたのですが、1つはこの間運動をしたところ、泥だらけになってしまったんですね。小じゃれた革靴でもいいのですが、national parkにも行くことになってるのでどうしよう?ってかんじです。明日朝起きて考えます。

うーむと思ったのは、家の近くで小雨になったこと。あわてる乞食はもらいが少ない。NYの排水にはあわてずのんびり待ちましょうってのが今日の教訓でした。


ハリーポッター@IMAX

NYに来て初めての映画です。とりあえずわかりやすげな話題の映画でも見るかという感じで、ハリーポッターに行きました。たまたま、行ったところがIMAXで、大画面で楽しむことができました。

IMAXって、確かカナダの会社だったと思いますが、観光地以外も順調に映画館を増やしているんですね。都心にもありました。しかも、入り口で立体に見えるめがねを渡されてのご入場。

結構最初に入ったので、ど真ん中に座ってみました。金曜の夜の、娯楽のないアメリカの映画館はsold outになるようで、いっぱいでした。アメリカらしいなと思ったのは、sold outだからみんな真ん中に詰めてくださいというアナウンスがあったとたん、みんな隣と話して、席が空いているか確認の上ちゃんと詰めるところ。コンビニのレジではしゃべるなと思うのですが、こういうところで、気軽に左右と話をして協力し合えるのはいいところですね。

IMAXのシアター自体は大画面で結構いい感じ。でも、空を飛んでいるシーンでは、地上の絵が液晶のような残像感だったのはIMAXのせい?それとも原本からそんなもん?ってかんじです。

で、立体映像になる箇所。いつ出るのかと思いきや相当後半に1カ所のみ(時間は結構ある)。結構立体になるのですが、立体の時って、皆さん細部も見えてますか?あれって結局像を目で合わせているだけだと思うのですが、なかなか細部を詳細にみるのが難しい気がします。解像度無視の大画面勝負って感じでしょうか。

ストーリーは、おそらくはしょりすぎ。今回は原作読んでいないのですが、なんだかよくわからん。流れはわかるのですが、なんでそうなるの??ってところがわからない。もしかしたら英語力のせいかもしれません。半分強くらいかな。ヒアリングの上達がないのを感じます。でも、出たときはちょっと英語で考えている自分がいてうれしかったり。とりあえず、家ではテレビつけっぱなしにしてみましょうかね。

映画や、ミュージカルにいろいろチャレンジしてみたいと思わせる夜でした。


吉野家

今日、吉野家@42th St/8th Aveに行ってきました。

人が言ったという噂を聞いていつか行きたいと思っていた吉野家。セントラルパークの左下方向更に下、タイムズスクエアから言うとまっすぐ左側(真西とも言います)の42丁目と、8番の交差点右上(東北)スタバの横です。8月1日にも行ってみたのですが、1・2日は改装中とのことで入れず、じらされたので、じれていってみました。

メニューは非常にシンプル。Beefとchicken。Beef は牛丼、chickenは照り焼き丼ですね。また半年は行かないと思い、ミックスという両方が入るのを選びました。ついでにコンボ(セットメニュー)にして、ダイエットコーラと、クラムチャウダーを頼んでみました。税込み10ドル弱。

感想は、とりあえず、コーラ入れての3品、全く合わないですね。コースと思い、一品ずついただきました。量は腹一杯。牛丼は、さすが米国牛にこだわる吉野家、日本と同じ味。紅ショウガなどもただでもらえて、いい感じ。ただ、1ドル80円くらいにならないと日本と同価格にはならないですね。何で日本より高いんだろう?でも照り焼きは、どこのフードコートにもありそうです。クラムチャウダーも同じ。むろん、コーラも。

あとで、例の呼吸困難の発作(食事が理由かは不明)になったので、残念ながら、次のチャレンジはずいぶん先になりそうですが、日本の味を気軽に思い出すにはいいかもしれません。

SSNと事務所のレター

SSNと事務所のレターがそろいました。これで米国内で暮らすことも、外国に旅行に行くこともできるようになりそうです。

先日SSN (Social security number)が届きました。申請してから1週間程度でしょうか。窓口で2週間といわれたので、若干早いようですね。

SSNがないと、2年目給料をもらえないという話のようですので、是非是非働き出すまでに取得する必要があります。

SSN申請をする際は、必要書類をそろえて、SSN用の最寄りの事務所に行きます。事務所、担当者によって結構うるささが違うようですが、要は運ですし、最終的に出なかったという話は聞かないので最寄りの事務所でいいのではないかと思います。

最寄りの事務所は下記から。
https://s044a90.ssa.gov/apps6z/FOLO/fo001.jsp
これにすんでいる場所のZip codeを入れてやると一発です。

申請に当たっては、Immigration status, work eligibility, Age, Identityがわかればいいようです。従って、必要書類は、窓口等で若干違いはあるようですが、パスポート、I20、OPTカード、application (onlineでとれます。下記)があれば十分(特にこれで足りないという話は聞きません)。

http://www.ssa.gov/online/ss-5.pdf
両親のSSNを記載する箇所があるので、必要に応じて実家にアクセスする必要があるかもしれません。

私は、昔々学生時代に遊びに来た際にSSNを取得していたようで、再発行手続きでしたが、発行までの時間は、再発行も、新規発行も変わらないようです。昔みたことあるカードだなぁとは思っていたのですが、まさか、日本に帰った際にもうアメリカ行かないしいいかと思って捨てたとはいえず、再発行申請を躊躇していたのですが、何のことはない、さっと出ました。どこかで年間3回、一生に10回までは再発行できるという記載があったように思うので、再発行の際は、この回数制限には気をつけておいた方がいいかもしれません。ちなみに再発行に当たっては、当時の古いパスポートはいらず、新しい現行のパスポート・I20を見せたら、それだけでOKでした。

米国外旅行に行く際(正確には帰ってくる際)に必要になるのが、事務所のemployment letter。1枚もので数行、雇ってますって書いてあるだけのものです。実際働くオフィスで取得することができるので、もし、本部とやりとりしてらちがあかないならば、取りに行くから授権だけしてくれという形で言った方が早いことがあります。私の場合がそうでした。

久々に、ちょっとは役に立つ情報でしたでしょうか。あまりたいしたもんではないですが。

変化の季節です

留学は、8月から年単位で始まるのが通常なので、今はちょうど異動の季節になります。


LLMの留学は1年で一応切りがつくので、その後は仕事を求めたり、日本に帰ったり、別の大学に行ったり、多くの人が移動します。NYの場合、2年目の職場もNYであることも結構あるので、移動の割合は他の場所に比べて少ないと思いますが、それでも5割くらいの人は引っ越していってしまいます。今まで大学で気軽に会っていた仲間に会えなくなるのは本当に寂しいことですが、むしろつながりのある仲間が世界各地にできたと前向きに考えることにしています。

今回、留学で出会った仲間たちは本当に皆優秀で、毎日刺激を受ける感じでした。久々にここまで粒がそろった人々にあったなぁという感じです。皆、自信にあふれ(傲慢という意味ではありません)、前向きで活発です。何か困難があっても解決してくれる、そんな信頼感を相手に持たせるような人ばかりです。

ぜひぜひ、今後とも活躍していってもらいたいものです。

彼らが出て行く代わりに、身近にやってくる人もいます。久々に異国の地で会うのは日本で会っていたときとは異なる感慨があります。今度は彼らとも仲良くやっていければいいなと思っています。