2007-05-11

NY生活でふと考えたこと

箸・服装・街・これから



今回NYに来て思ったのは、箸を使えない人を見ないということ。周りの外人は無論、レストランや定食屋みたいなところでも箸を使えない人というのは全く見なかった。空想上の典型外人は箸を持てない設定になっていたが、これはちょっと認識を改める必要がありそう。

すしがブームになっており、サラダとかと同じ健康食の感覚でよく食べられている。スーパーにも必ずと言っていいほどある。もちろん、大きなチャイナタウンもあり、コリアンレストランも多い。ただ、周りを見ている限りは、すしの機会が一番多いのではないだろうか。とにかくこういった多数の機会により、箸の持てない外人はNYにほとんどいないという実感を抱くに至った。

この関係で、日本では厳しいかなと思う食べ物に、すし定食なるものもある。すし+サラダ+刺身+ご飯。まぁ、日本にもお好み定食・うどん定食があるのでおかしいということはないんでしょうが、実際に食べてみたところ、ご飯が余る。ふりかけを頼みたくなった。

服装では、インド・中東の民族衣装の人が驚くほど少ない。前からこんなに少なかったっけ?という感じ。もし、9・11で住みにくくなったとしたらそれは残念なことだ。

服装といえばもう一つ。これも良くいわれるが、日本人女性はサイズで苦労するそうな。大きいサイズしか在庫がないことが多いとのこと。

でも街では日本人より小さい人(身長も体型も)も山ほどいる。白人も黒人も南米系もアジア人も。その人達みんなサイズに苦しんでいるのであろうか。だとしたら在庫管理がいけてないのでは?

などと話していたら、服が大きすぎて自分のがないというのは虚栄心を満たすが、小さすぎてないというのは・・・という説明を聞いた。日本人のやせ形の方の場合、米国のXSが入らないとショックを受けるそうな。なるほど女性らしい解説と感心した。しかし、それにしても・・・・

ところで、いつも言われることであるが街はきれいになった。旅行者だった昔のあやふやな記憶との比較で恐縮ですが、気づいた点を。

何が変わったのか考えてみると、道ばたに座っている人が減った。昔のわずかな記憶をたどると危険そうな通りは、1ブロックの間に何人も座っていてこちらを濁った目でじろりと見ていた気がする(これ自体あやふやなのかもしれないし、学生で度胸がなかったのかもしれない)。とにかく、怖くて歩道の端(道路側)を目線をあわさないようにしながら早足で歩いた記憶がある。

いまはそんな通りにはほとんどであわない。座っている人の数も少ない。危なそうな道でも人通りが少ないくらいで、壁で落書きがない箇所がないとか、ごみがひどく散乱しているとかもない。せいぜい多少だ。地下鉄もずいぶんきれいになった。駅自体が異臭で耐えられない駅もほとんどなくなった。幸い街で絡まれる回数も東京と変わらない(ほとんどない)。

ひとことで言うと住みやすい都会になった。都会に人が集中するのだろうか。アメリカは都会が安全になったことにより、日本は地価の下落により都会回帰が進んでいく感じなのだろうか。インターネットが出来たときは、田舎でも都会と同じというようなことが言われた。一部それに従った動きもあるが、現実の主流派は逆に進んでいる気がする。逆にネットのおかげで人的・物的資源を投資してまで地方に支店を置く必要がなくなったということだろうか。

ロースクールのランキングがいい大学の出身者でも、昔はNYは危なくて誰も来なかったから入りやすかったと冗談交じりにおっしゃるが、真実の一面もあるのかもしれない。日本もアメリカも地方の一流大学より都会の大学に行きたいという学生の占める比率は高まっている気がする。母集団が変われば実力層も変わるのは当然で、都会の大学のランキングはこれから先もあがるのだろうか。それとも、土地について繰り返し指摘されるように、これも単なるバブル・・・

とにかく、こうやってぼーっと考え事ができるというのは留学に来ているメリットであることだけは間違いがなさそうだ。

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