久々に雑感など
NYは、早冬真っ盛り。昨晩は、特に寒く、日中降った雨で、ベランダにツララができていました。
相変わらず、一日の大半をfantasyやらスポーツのことを考えながらすごしていますが、先日、友人のブログにコメントしようと、使ってない頭をひねってみました。結局コメント欄としては長すぎるので、結構な量のメールのやり取りになったのですが。
その結果、各方面から多大なお叱りをうけ、という、話の一部になったようです。
別にしかったつもりはないのですがね。
同じことをしても、人に対して攻撃的だとの印象を与える人と、人の意見を容れることができる人だとの印象を与える人がいます。うちの事務所の事務担当のパートナーとバーの書類関係でやり取りをしたのですが、彼は典型的な後者。1月で担当者が変わるらしく、次の人は考えるのも恐ろしいのですが・・・
仕事でもカリカリする人と、どんなに忙しくてもあたりがやわらかい人とがいます。特にどちらの方が仕事ができるということはないですが。
多分性格的には、遊ぶ相手としては、喜怒哀楽があるほうが楽しい。何を考えているかわかるし、いちいち反応がある感じですしね。
ただ、仕事とか、長い間の評価という意味では、感情の起伏が少なく、人当たりがいい人っていうのが、いいなぁと感じることが多いですね。
あまり人に言ったことがありませんが、ここ15年くらい、自分の中では、信条としようとしている格言があります。
実るほど頭を垂るる稲穂かな
誰がいったのか知りませんが、本当にいい言葉だと思います。祖母から最初に聞いたのは小学生か中学生のころだったと思います。初めて聞いたときから大変印象的な言葉です。地方の農家の格言かと思いきや、結構検索したら出ますね。
実際に刈入れ作業などをしたこともあるのですが、実った稲穂というのは、本当に米が大きくなればなるほどどんどん下を向いてきます。
一方、実の入っていない空の実というのもあります。こちらは、稲穂になっているかに見えて、実は中身がない。これだとたれないんですねぇ。これを加えて考えても実に趣がある言葉に感じられます。勝手な解釈かもしれませんが。
私自身について言えば、典型的に、喜怒哀楽が激しく、人当たりがきつい。これでも、この格言のせいか、久々に会う友人には、いずれの時代の人でも、丸くなったとか、大人になったとか言われるので、そのたびに昔が思いやられるものですが。
稲穂との関係では、判官びいきというか、相対的でありたいなぁと思っています。
自分と同等、又は上の人に対しては、相対的に見れば、青苗みたいなものですから、いつまでもつんつんしていたい。一方、ある程度のいい大人であるのも事実なので、自分より若い人や、自分のために働いてくれる人に対しては実りある稲でありたいと、常々思っているところです。
果たしてできることやら。器が小さいとどうしても自分と同等かそれ以上と感じる人が世の中多いですからねぇ。
まぁ、こんなことを考えるのも年末だからでしょう。いろいろとしないといけない雑事というのも増えてきました。
そろそろ、一日中ネットかテレビという環境をやめようと、昨日家のネット環境を切りました(コードを抜いただけ)。夏の毎日ブログ宣言同様、いつまで続くのかわかりませんが、半年に一度くらい、いろいろ思い立つようです。